どうもこんばんは。
褒められたことのない男、私です。
今日は学校教育で感じた「茶番」について語ろうと思います。
学校で、例えば美術で褒められたことがある人? 多分ここにならたくさんいると思うね。
まったく詳しいやり方もルールの一つも何も教えることなく、「今からこれやる。ルールはわかっているよな?」みたいな教育が大嫌いだった。
今でも思い出すと虫唾が走る思いだ。
体育、美術、音楽…それからそれから。「意味など考えるな」の最右翼数学に、無機質に年代を語呂合わせで覚えさせる歴史に、無理やり主人公の心情を考えさせられる国語。
そんな無機質な教育が大嫌いだった(いじめに対してまるで当事者感覚が欠落しているすべての教員にも絶望したが)。
体育は「速く走る方法」など全く教えず、とりあえずコースにつかせて50メートル走らせて「あなた早いから通知表5あげる」「あんた遅いから2な」(全く不参加なら1)。
なにこれ。
ちなみに、私はスイミングスクールに通っていたので、水泳で「25メートル完泳しよう」という授業だけはあっさりとクリアできたんだけど、「あっそ」「だから何?」という空気感。
は????????
私はこう思った。学校で嫌いが好きになることはないけど、好きが嫌いになることは十分ありうる、と。
美術で校内写生をしたという方も多いと思われるが、セットで結構なお値段の絵の具セットを買わせておいて、「これはこう使います。例えば空を描くときはこうこう云々」インストラクションがあって然るべきだろうが、そんなのお構いなしに散り散りにさせて絵を描かせておいて「この描き方はないだろう」って、だったら最初から説明しろよ!
何分、こうした教育を受けたのがン十年前のことではあるので、「もしかしたら」今は変わっているのかもしれない。変わっていなければ悲劇的といえよう。
こんなこともあった。課題局2曲聴かせて、イメージに合うジャケットを描け、と。「じゃあ、ポスターカラーを買ってもらうので、購入してください」。もちろんポスターカラーの使い方なんて教えてくれませんでした。
私の選んだのは「Walking in the Air」という曲が、空を渡る旅人をイメージしたので、本当に拙いものではあるが何とか描き上げたが、実はアニメ「スノーマン」の挿入歌であると知るのは、だいぶ後のことだった。正解を知ってる者だったら楽勝コースの茶番劇だったはずだ。
尚、「そんなの確か描いたよねー」くらいの記憶しかないので、結果はまるで覚えていない。結果の記憶さえも残らない学校教育。
これはあくまでも余談ですが、ピンク・フロイドがレコーディング中、近所の小学生たちにスタジオを自由に見学してもいいと、その代わりに歌ってほしい曲があるんだ、と。
それこそがThe Wallに収録されたAnother Brick in the Wall part 2で、子供たちは青ざめる教師を顧みることなくこう歌った「僕たちには教育なんて必要ない。決まりきった頭の固い大人にはなりたくないんだ…ねぇ先生、僕たちを放っておいてよ!」
閑話休題。音楽の実技試験には辟易した。1人ずつ音楽準備室に呼ばれては、課題曲を歌わせて、歌のうまい下手で通知表の点数が決まるという、恐怖の密室試験であり、その時ばかりは音楽の先生は何も忖度なかった。「あんた音痴」だと。
確かに音痴なのは十分知ってはいるが、いうべき言葉と言ってはいけない言葉があるだろうと。
高校3年の音楽のペーパーテストはクラシック曲とその曲名を紐づける内容が半分ほどあった。私はなんとそのテストで1問だけ落としてクラストップになってしまった(モーツァルトの写真が鮮明であれば満点取れていただろう!)。
「お前カンニングしただろ」と同じクラスの生徒に言われたが、んなわけない。ある種クラオタだった時期であったので、流れる曲と曲名を紐づけるなんて造作もなかった。まさに茶番のような試験であった。
勿論そこでも褒められもしなかった。前述のようにカンニングを疑われただけで、誰からも褒められた、という記憶もない。
それよりも、音楽理論をかみ砕いて教えてほしいと思ったほどだ(ゲーム音楽がブームになって、SC-88Proがデファクトスタンダードとなって俄かに打ち込みブームになっていた頃合いだった)。
大学時代は…入学したと思ったら卒業式に別室に呼ばれて「育英会の奨学金返済をバックレません」なんて念書を書かされて、ケツ蹴られて卒業させられた(世は就職氷河期で内定の決まってない奴らも少なからずいた)。
いや、ワークステーションルームのある種主みたいになってPhotoshopの独習に励んでいた。しかし失敗続きで電子の藻屑と消えたもののほうが圧倒的に多かったが、その断片は230MBのMOとして残っている。
まぁ、それを読むことが困難になると思ってか、CD-Rにも焼きましたが。確かジャズ研に入りましたが、半年ほどで幽霊部員となりました(^q^)
結局大学では「教授になっても経済の動向なんてまるで読めないんだ」とガッカリさせられて、大卒の身分を隠したがるようになってしまいましたね。ある種学位という紙を大枚叩いて買ったようなものです。
なので、個人的には学ぶことは学校より社会に(無理やり)出されてからの方が多かったですね。
職業訓練で機械製図を学んでブランク除いて約5~6年製図工として働いていたこともあり、基本的な金属加工くらいならやろうと思えばできますが、納期半年遅れのデスマーチに飲み込まれて死にかけたことがあるので、今後そちらの方には舵を向けないと思いますし、デザインの職業訓練を受けたと思ったら、経理をやっていたりね。
今の勤め先の時給が最賃スレスレで残業も禁止なので、もうこの方法しかないかとSkebのページを見たり、豆色紙に絵を描いてヤフオクに出品しようと考えて、ほぼスタートが切れる位置までついてはいるのですが。
何もかも歯車が嚙み合わないのが現状で、それが自ずとストレスとして蓄積しているのが実情ではあります。